東日本大震災から一年が経ちました。――もう一年、――まだ一年、どちらとも思える月日が経ちました。地震に伴う津波、そして原発事故。大きく鋭く深い爪痕が今も残っています。あの震災以降、防災への意識が変わった方も多いでしょう。勉強代と考えるにはあまりにも大きな代償ですが。 首都直下型地震が遠くない未来に起こる、という予測もあります。関東での震災と言えば、一九二三年の関東大震災が思い浮かびます。震災時、芥川龍之介は自宅に居ました。妻子と共に食事をした後、震災に遭ったようです。地震が起きると芥川は妻子をほうったまま、一人で家屋をとび出したそうです。遅れて子を連れて出てきた妻にそのことを詰られると、「いざとなると人間は自分のことしか考えないものだなぁ。」と応えたとか。芥川らしいといえば芥川らしい話です。彼自身は大きな被害を受けなかったようですが、震災についていくつの文章を残しています。震災の惨状、社会的混乱、芥川は冷徹な眼でそれらを受け止めていました。 僕は、いざとなると自分のことしか考えられない人間、の一人ですが、理性もまた幸か不幸か、持ち合わせています。あの非常事態時、人間の醜さというものを垣間見ました。助け合い、絆、と正の面ばかり強調されますが、負の部分もしっかりと見なければなりません。人間なんてろくなもんじゃねぇ、と思いながら生物としてはそれが真当なのだとも思います。 人間としても真当でありたい。
2012年3月11日日曜日
一年
2011年7月24日日曜日
河童
七月二十四日が来ました。地上波アナログ放送が終了する日――というのはどうでも良くて、芥川龍之介の命日、「河童忌」であります。 二十四歳で夏目漱石に作品を認められ、文壇に登場し、僅か十一年の作家生活で自らの生涯を閉じた芥川龍之介。三十五ですよ、三十五。もっと長生きしていたら、どんな作品を残しただろう――そんな詮なきことを想わざるを得ません。 芥川は「河童」という小説を死の年に書いているのですが、簡単に筋を書けば、……人間が河童の国に迷い込み、その価値観の違いなど描いていく……、まあ、そんな感じですが、そこには芥川自身と思しき河童もでてきます。そしてその河童はピストルで頭を打ち抜いています。「河童」を書いている頃には既に、死の魔力から抜け出ることはできなかったかも知れません。 河童という架空の――おそらく架空の――生物を芥川は好んで絵に描いていたそうです。しかもなかなか上手い。余談ですが、芥川は幼い頃、日本画家の横山大観に弟子入りを口説かれたこともあるそうで、その頃は洋画家になりたかった為、誘いを断ったとか。 芥川龍之介という名前は、姓も名も水がちなんでいます。川は、まあ、そのままで、龍は東洋の龍なので水龍ですね。水生生物の河童にも何か親しみを感じていたのかも知れません。 ――で、「河童」を書いた年に亡くなったわけですが、長らく睡眠薬のヴェロナールとジアールを致死量あおいだことが死因とされてきましたが、近年になって青酸カリによる服毒自殺説が有力になっているようです。死因がどうあれ、自らの意志で娑婆苦を離れていったのに違いはありません。 あの世というものが在るのか無いのか、わかりませんが、現代の文芸を彼がどう思っているのか、意見を聞いてみたいものです。あなたの名前を冠した文学賞はえらいことになってます。――申し訳ありません。 どうしても謝りたくなりました。
2011年3月1日火曜日
龍
今日、三月一日は芥川龍之介の誕生日です。 一八九二年三月一日、辰年辰月辰日辰刻に生まれたので、龍之介と名付けられたそうです。芥川龍之介の出生には複雑な家庭の事情が絡みますが、何だかゴシップ記事のようなので、ここでは省きましょう。 芥川龍之介といえば、「羅生門」が有名ではないでしょうか。教科書で読んだ方も多いはずです。黒澤明の同名の映画もあります。話の筋としては同じく芥川の書いた「藪の中」と併せたものですが。「蜘蛛の糸」や「杜子春」などの童話も教科書で読んだことがあるかも知れません。 教科書で読む小説というのは、大概、面白くありません。教科書に載る小説が面白くない、というわけではありません(本当に面白くない小説が載っていることも多々ありますが……)。あのくだらない授業がおそろしくつまらないものにしているとしか考えられません。定められた読み方を強要されて面白いわけがない。まあ、授業なんて大抵つまらないものですが……。 そんな学校で習う芥川龍之介から離れて、一人の作家として芥川龍之介の小説を読んでみると、違った趣を感じるかも知れません。 文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加へてゐなければならぬ。 ――「侏儒の言葉」 芥川はそんな言葉を残しています。同輩に、あまり文に凝りすぎるな、と忠告を受けたこともあるそうです。が、芥川自身は必要以上に文に凝っているつもりはない、と書いています。芥川の文体は、初期の頃と晩年ではだいぶ違うものですが、おそらく文章に対する姿勢は一貫したものであったことでしょう。彼は短文を基調に、うつくしく整った文を書きました。初期は様々な装飾を凝らしながら、晩年は簡潔に言葉を研ぎ澄ましながら。芥川の文章は密度が濃いもので、書き飛ばしているような文はほとんどありません。彼が長編小説をものにできなかったのも頷けます。 現代の小説にはあまり見ることのできない、その美しい言葉を、芥川龍之介を通じて読んでみてはどうでしょうか。
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