部屋の片隅に、裏返して置かれた一枚の絵。いつか自分が描いた一枚の絵。自分の手を通して魂を吹き込んだ一枚の絵。その絵を画架に据え、いちめん灰に塗り潰す。消えていく己の魂。震えながら魂を消していく。怖くて、哀しくて、でも、やらなければいけないような気がして。 灰に塗り固められた、表情のないカンヴァスを画架に掛け、部屋を後にする。今はまだ描けない。しかし、いつの日か、あの無のカンヴァスに命を通わせることを信じながら―― 屋上の風が強い。見下ろす世界には現実感がない。自分が現実から離れているに過ぎないことをすぐに感じて、誰からか隠れるように、そっとうつむき、微笑を洩らす。 喧噪が遠く聞こえる。天上の神々はこんな気分なのだろうか。ふと空を見上げると、ひと筋の飛行機雲が曳かれていた。――空も人間が支配してしまった。―― 飛ぼうと思って、ありもしない翼を大きく拡げ、身を空に躍らせる。体がとても軽い。心もとても軽い。 空を飛んでいる――
2012年5月24日木曜日
「逃飛行」
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