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2011年7月24日日曜日

河童

	
 七月二十四日が来ました。地上波アナログ放送が終了する日――というのはどうでも良くて、芥川龍之介の命日、「河童忌」であります。
 二十四歳で夏目漱石に作品を認められ、文壇に登場し、僅か十一年の作家生活で自らの生涯を閉じた芥川龍之介。三十五ですよ、三十五。もっと長生きしていたら、どんな作品を残しただろう――そんな詮なきことを想わざるを得ません。
 芥川は「河童」という小説を死の年に書いているのですが、簡単に筋を書けば、……人間が河童の国に迷い込み、その価値観の違いなど描いていく……、まあ、そんな感じですが、そこには芥川自身と思しき河童もでてきます。そしてその河童はピストルで頭を打ち抜いています。「河童」を書いている頃には既に、死の魔力から抜け出ることはできなかったかも知れません。
 河童という架空の――おそらく架空の――生物を芥川は好んで絵に描いていたそうです。しかもなかなか上手い。余談ですが、芥川は幼い頃、日本画家の横山大観に弟子入りを口説かれたこともあるそうで、その頃は洋画家になりたかった為、誘いを断ったとか。
 芥川龍之介という名前は、姓も名も水がちなんでいます。川は、まあ、そのままで、龍は東洋の龍なので水龍ですね。水生生物の河童にも何か親しみを感じていたのかも知れません。
 ――で、「河童」を書いた年に亡くなったわけですが、長らく睡眠薬のヴェロナールとジアールを致死量あおいだことが死因とされてきましたが、近年になって青酸カリによる服毒自殺説が有力になっているようです。死因がどうあれ、自らの意志で娑婆苦を離れていったのに違いはありません。
 あの世というものが在るのか無いのか、わかりませんが、現代の文芸を彼がどう思っているのか、意見を聞いてみたいものです。あなたの名前を冠した文学賞はえらいことになってます。――申し訳ありません。
 どうしても謝りたくなりました。

2011年7月19日火曜日

「ウーロン茶」

	
 ……いったい、どれくらい歩いただろう。あてもなく、初めて来た知らない町を歩いていた。無論、地図などなく、何かを探しているでもなく、ただぼんやりと歩き続けてきた。
 静かな町だった。広い道でも車は通らず、見かけた人も数人ばかりだった。騒々しく慌しい全てのものから、解放されたような町だった。
 永遠にこの町を彷徨っている錯覚を感じだした頃、不意に視界がひらけ、海が見えた。
 海もまた静かに凪いでいた。船の姿も見えない。ここは漁場ではないらしかった。やはり人気のない砂浜へ、おりて行った。
 流木と思しき朽ちた木に腰掛け、海を眺めた。力強い太陽が海面を照らしていた。海の風がやわらかく流れていた。少なくなった煙草に火を着け、煙を深々と吸い込んだ。軽い眩暈のような感覚を愉しみながら、猶も海を眺め続けた。微塵も姿を変えることのない海を――。
 二本目の煙草を取りだそうとすると、背後に砂を踏む足音を聞いた。返り見ると若い女が立っていた。
「こんにちは。あんた、ここの土地の人じゃないね。何しに来たの? 何にも無い所なのに。」
 彼女は屈託のない笑顔で話しながら、断るでもなく隣に座った。
「気がついたらここに居たんだ。――だから何をしに来たのか、わからない。」
 冗談交じりに――半ばは本気で――言っていた。
「何それ? 記憶喪失?」
 声をだして笑いながら、彼女は手にしていたものを差しだした。
「ハイ、記憶喪失の不憫なあんたにわたしからのプレゼント。喉、渇いてない?」
 二つ持っていたウーロン茶のペットボトルの一つを手渡された。彼女は自分で持っているボトルのキャップを外すと、喉をならしながらうまそうに飲んだ。
「ウーロン茶嫌い? おいしいよ。」
 手にしたペットボトルに何かしら落胆を感じていた。それでもプラスチックのキャップを外し、喉を潤した。飲み慣れた味だった。うまかった。が、落胆は深まった。
「丁度、喉が渇いていたんだ。ありがとう。」
 その言葉に偽りは無かった。が、社交辞令的な嘘を言っているような気がした。
 ペットボトルのラベルをみつめながら、この町に抱いていた幻想が急速に崩れ去るのを感じた。楽しそうに何か喋り続ける女の声を遠くに聞きながら、二本目の煙草に火を着けた。

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