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2012年3月25日日曜日

「奇術師」

	
 手から飛び出た花に、人々は驚きと賞讃の歓声を送った。花を出した本人は、得意満面、嬉しくて仕方がならぬ。次々と両手から花は咲き乱れ、足元は花で満たされる。――しかし、哀しいかな、花は次つぎと枯れていく。
 もう早や、人々の歓声など聞こえない。必死に花をそれでも出し続ける。もうどうすることもできぬのだ。止めたところで枯れた花に埋もれるだけに過ぎぬ。
 ――花を、――花を。
 憑かれたように、手から花を出す。誰も喜ばぬ、自らも喜ばぬ。
 ――花を。
 何がなんだか、わけもわからぬ。

 花を――――

2012年3月11日日曜日

「薬男」

	
 彼は両親の死を待っていた。しかしそれは、遺産が目当てでもなければ保険金が目当てでも無かった。かといって、憎しみを抱いているわけでも無かった。寧ろ、彼は両親に卑屈なくらいの敬慕を感じていた。彼の人生は不孝そのものと言ってもよかった。が、それでも両親は彼に親らしい愛情を与えることを止めなかった。彼はその為に、どうにか両親よりは長く生きようと思った。
 が、彼は既に生活欲を失いつつあった。
 食慾は無く、常人の一食分にも満たない量をなんとか少しずつ口にしていた。彼は足りない栄養を、サプリメントと呼ばれる錠剤で補っていた。ほとんど食事量と変わらぬだけの多さだった。どちらが「補助」なのか、わからないぐらいだった。
 彼はまた不眠にも悩まされた。彼は薬に頼って眠りを得ようとした。しかし、薬の効き目は徐々に薄くなり、使用する量はだんだん増えていった。彼は夢と現の中で、鈍重な亀のように生活を続けていった。
 毎朝仕事に出かけ、すぐに家に戻ると、眠れもせぬベッドの中に潜り込んだ。何もしなかった。世の中の動きになど関心がなかった。無残な殺人事件が起きようと、大規模な地震が人々を襲おうと、無意味な戦争で多くの血が流れても、最早彼にはどうでも良いことだった。全てが彼にはもの憂い、遠い出来事だった。
 彼はじりじりと衰弱しだした。非合法な薬を摂取することで、なんとかその日その日を過ごしていた。彼は薬に酔いながらも、自分を見失うことは無かった。恍惚の直中にいながら、冷めきった眼で彼自身をみつめていた。
 何度も死を想った。彼が死ぬことで両親は解放されるのではないかと思った。彼が生きていることは、寧ろ両親にとって重荷なのではないかと思った。
 ――しかし、彼は死ななかった。
 両親は幸か不幸か、不吉な病になど侵されていなかった。健康と言って差し支えなかった。彼はただ、じっと両親の死を待っていた。いつ来るとも知れぬ、来るべき日を待っていた。薬浸けの体だけを恃みにして――

一年

	
 東日本大震災から一年が経ちました。――もう一年、――まだ一年、どちらとも思える月日が経ちました。地震に伴う津波、そして原発事故。大きく鋭く深い爪痕が今も残っています。あの震災以降、防災への意識が変わった方も多いでしょう。勉強代と考えるにはあまりにも大きな代償ですが。
 首都直下型地震が遠くない未来に起こる、という予測もあります。関東での震災と言えば、一九二三年の関東大震災が思い浮かびます。震災時、芥川龍之介は自宅に居ました。妻子と共に食事をした後、震災に遭ったようです。地震が起きると芥川は妻子をほうったまま、一人で家屋をとび出したそうです。遅れて子を連れて出てきた妻にそのことを詰られると、「いざとなると人間は自分のことしか考えないものだなぁ。」と応えたとか。芥川らしいといえば芥川らしい話です。彼自身は大きな被害を受けなかったようですが、震災についていくつの文章を残しています。震災の惨状、社会的混乱、芥川は冷徹な眼でそれらを受け止めていました。
 僕は、いざとなると自分のことしか考えられない人間、の一人ですが、理性もまた幸か不幸か、持ち合わせています。あの非常事態時、人間の醜さというものを垣間見ました。助け合い、絆、と正の面ばかり強調されますが、負の部分もしっかりと見なければなりません。人間なんてろくなもんじゃねぇ、と思いながら生物としてはそれが真当なのだとも思います。

 人間としても真当でありたい。

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