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2011年2月24日木曜日

「弾丸」

	
 葬列は続いていた。
 一瞬刹那の自分の列。過去の僕はその直前の過去の僕を、それぞれ弔っている。
 その列の全て、過去の自分。一度は確かに僕自身だった筈なのに、みんな他人のように遠い記憶。
 闇の中、死人の顔をした僕の過去が一列に延々と続いている。うつむきがちに、みな互いに聯関れんかんの無い顔をして、真直な列を乱しはしない。僕は最後尾に立ち、次々と生まれては死の列に加わる僕自身の背をみつめる。
 彼らは僕を憎んでいるだろう。無為の生活の中に埋もれながら、もがこうともしない僕を。他人ばかりか自分をも偽り、信じもできない理由をつけては己を正当化しようとしている僕を。自らを卑下し苦しみ続ければ、やがて免罪符が与えられると願っているような僕を。
 ――しかし、彼らは振り向きもせずに過去の自分に小さな白い花を添える。涙ひとつ流すでもなく、声ひとつ洩らすでもなく、それがまるで宿命のように自身の過去にこうべを垂れる。
 僕の順番はやってこない。こうしている間にも、僕は一瞬いっしゅん過去になっていく。
 ――闇の中に何かが閃いた。
 と思った瞬間、僕は口からごぼりと血を吐いた。胸からも鮮血が溢れていた。右手を傷口にねじ込み、僕を傷つけたものを探る。それは銀の弾丸だった。
 僕は膝折れ再び血を吐いた。
 過去の僕は一斉に振り返る。その眼はどれも冷たい光を湛えていた。まるで手の中の弾丸のように―― 

2011年2月19日土曜日

「ある晴れた日に」

	
「綺麗ですね。」
 思いがけず近くで声がした。わたしは振り返って声の方を見た。細身の男が立っていた。やわらかな風に男の前髪が揺れた。
「えっ…そんな……」
「いえ、湖ですよ。湖がきれいだ。」
 確かに、男はわたしの方ではなく、湖を見ていた。そのまま数歩あるいて、わたしの横に並んだ。
 わたしは、それでなくても羞恥に紅く染まっていた頬を別の羞恥で紅くし、俯いた。
「――冗談です。」
 男は笑い声に言った。
 わたしは何も言い返せず、そっと男の横顔を窺った。男はやはり湖を見ていた。が、その頬にはうっすらと羞ずかしそうな笑顔が浮かんでいた。
「あなたのように綺麗な人に会ったのは初めてです。」
 表情からは笑いが消え――それでもやはり、男はわたしではなく湖を見ていた。
「――当然です。あなたに会ったのは初めてだから、当然です。『あなたのように綺麗な人』は、あなたしか居ませんから。言葉の修辞につりこまれてはいけません。」
 男の顔には再び微笑が浮かんでいた。
 わたしはどうするべきか迷った。が、何をどうするべきなのかは、わたし自身判然としなかった。
 不快――というより、当惑だった。
 急に、男はわたしの方を見て、真直に両の瞳をわたしに向けた。わたしが見返しても、男の視線がぶれることはなかった。寧ろ、わたしが彼の眼から視線を外せなくなっていた。穏やかに沈黙した眼だった。
「でも――、湖もきれいだとは思いませんか?」
 彼はそう言うと、あっさりと視線を湖に移した。
 湖面は太陽の光を反射して、僅かな波に静かにきらめいていた。きれいだった。
 わたしは黙ったまま、湖を眺めた。そうして、彼に何か言いたい衝動を感じた。
「……もしかして…あなたは――バカですか?」
 怒気のない、落ち着いた声でわたしは言った。
「よくわかりましたね。」
 彼は笑った。わたしも一緒になって笑っていた。湖がきらきらと光りながら揺らいでいた。

2011年2月13日日曜日

「墓標」

	
「僕は死んじゃうの?」
 少年は切ない眼で彼女を見上げた。ベッドに横たわった少年の体は、いかにも小さかった。
 窓の外では無数の銀杏の葉が、秋の風に吹かれ舞っていた。地面の枯葉を風の撫でる音が、かさかさと聞こえた。
「大丈夫。心配ないよ。」
 微笑みながら、彼女は少年の頭を優しく撫でた。が、彼女は上手く微笑むことができたのか不安でならなかった。
 少年は彼女の言葉に微笑み返しながら、自分の死期の近いことをぼんやりと思った。だが、彼はそれに全く気づかないふりをして、回りながら落ちる黄金色葉を無邪気に見ていた……。
 病室を出た後、彼女は白い壁にもたれ、下手な嘘しかつけぬ――少年を信じさせることもできぬ――自分に涙を流した。
 少年は雪の降るのを病室の中で見た。が、雪の積もるのは見ることなしに、ひっそりと息を失くした。
 近くの寺の片隅に、墓と呼ぶには余りに粗末な、小さな石碑がたった。そこには一本の道が通じていた。誰かが踏み固めた雪の跡だった。その道はどんな吹雪にも埋もれることはなかった。
 白い道が寸毫も乱れることなく今日も続いている。

2011年2月12日土曜日

「夢に住む人」

	
 男は病院のベッドの上で、静かに目を覚ました。百年の眠りから覚めたように、静かな目覚めだった。誰か男の左手を握る者があった。それは付き添いの女の手だった。男が目覚めた為に、知らずに握る手に力が加わっていた。
 男はそっと女の顔を見上げた。不眠の為か、涙の為か、目が赤く充血していた。女は眼が合うと、無理に笑って見せた。
「どのくらい寝ていた?」
 男は天上に視線を移しながら訊いた。
「まる一日と少し。」
 女は短く応えた。声が微かに震えていた。
「……夢を……、――夢をみたんだ。」
 天上を向いたまま、男の目はゆっくりと閉じられ、完全に閉じきられる寸前でその動きは止まった。
「子供の頃の夢だ。まだ世界の理を知らない、永遠を信じるとも意識せずに信じていた、幼い頃の夢だ。」
 その夢が今、眼前にひらけているような眼つきをして、男は続けた。
「純粋な歓びや哀しみが繰り返され、明日あすを考えない日々が果てることなく続いていく……。一心に泣き、素直に笑っていた。……
 やがて自分も大人になるとも知らずに、甘美な日常が延々と続く……。鎖じた環の中を巡るように、黄金の車輪がやわらかな光をふりまき、うつくしい調べを奏でる。……」
 男の眼がうっとりと恍惚に満ち、頬には微笑さえ浮かぶ。女は声も無く涙を流しだした。
「――だけど、それも永遠には続かない。車輪は速度を緩め、徐々に歪み、朽ちていく。車輪は動きを止め、永遠は崩れ去る……」
 男の目が完全に閉じられた。女は両の手で男の左手を、強く、握り締めた。
「君には本当に迷惑をかけたね。」
 女は頭を左右に振った。声はでなかった。髪が乱れるほどに、頭を振った。
 しかし、目を閉じた男には見えなかった。

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