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2011年6月13日月曜日

六月……

	
 六月といえばジューンブライド――なんてことを思わないのが文学バカ。六月といえば「桜桃忌」、太宰治を想います。一九四八年六月十三日、太宰は玉川上水に入水し、その生涯を終えました。奇しくも誕生日である六月十九日に遺体は発見されたそうです。そう、六月は太宰の命日と誕生日があるのです。数え年齢では四十歳を目前にして亡くなっています。
 「子供より親が大事、と思いたい。」と始まる太宰の小説「桜桃」から、友人であり作家の今官一が、命日を「桜桃忌」と名付けたそうです。「桜桃」は短い小説ですが、切ない。非常に切ない。優れた小品です。
 太宰の死後、彼と交流のあった坂口安吾は「不良少年とキリスト」というエッセイを書いています。その中で安吾は芥川と太宰を不良少年と呼びます。不良青年でも、ましてや不良老年でもなく、不良少年と。不良少年は負けたくない。どうにかして偉く見せたい。死んでも偉く見せたい。そしてこの二人の死は不良少年の自殺だったと。特別に弱虫の不良少年は、腕っぷしでも理屈でも勝てないから、何かひきあいを出してその威を借ろうと、キリストを引っ張り出した、と書きます。
 芥川は晩年に聖書をよく読んでいたそうです。それは信仰の書としてではなくキリストという個人に惹かれてのことのようです。「西方の人」「続西方の人」というキリストを描いた作品を最晩年に書いてもいます。また、太宰は作品の冒頭に、聖書からの引用をもちいることもありました。「汝を愛するが如く汝の隣人を愛せ」という聖書の言葉も好んでいたようです。
 僕は坂口安吾の言葉に全面的には同意する気はありませんが、芥川と太宰という二人の作家――若くして自らの命を絶った作家の共通点を探る上では面白い見方かも知れません。
 ちなみに坂口安吾は「不良少年とキリスト」の中で、「桜桃」は苦しい、あれを見せてはいけない、と否定的です。安吾の言いたいことはわかるし、確かにそうなのかも知れない。だけどそれを書いてしまう――書かざるを得ない太宰の弱さが、また彼の魅力でもあるのです。

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