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2012年3月11日日曜日

「薬男」

	
 彼は両親の死を待っていた。しかしそれは、遺産が目当てでもなければ保険金が目当てでも無かった。かといって、憎しみを抱いているわけでも無かった。寧ろ、彼は両親に卑屈なくらいの敬慕を感じていた。彼の人生は不孝そのものと言ってもよかった。が、それでも両親は彼に親らしい愛情を与えることを止めなかった。彼はその為に、どうにか両親よりは長く生きようと思った。
 が、彼は既に生活欲を失いつつあった。
 食慾は無く、常人の一食分にも満たない量をなんとか少しずつ口にしていた。彼は足りない栄養を、サプリメントと呼ばれる錠剤で補っていた。ほとんど食事量と変わらぬだけの多さだった。どちらが「補助」なのか、わからないぐらいだった。
 彼はまた不眠にも悩まされた。彼は薬に頼って眠りを得ようとした。しかし、薬の効き目は徐々に薄くなり、使用する量はだんだん増えていった。彼は夢と現の中で、鈍重な亀のように生活を続けていった。
 毎朝仕事に出かけ、すぐに家に戻ると、眠れもせぬベッドの中に潜り込んだ。何もしなかった。世の中の動きになど関心がなかった。無残な殺人事件が起きようと、大規模な地震が人々を襲おうと、無意味な戦争で多くの血が流れても、最早彼にはどうでも良いことだった。全てが彼にはもの憂い、遠い出来事だった。
 彼はじりじりと衰弱しだした。非合法な薬を摂取することで、なんとかその日その日を過ごしていた。彼は薬に酔いながらも、自分を見失うことは無かった。恍惚の直中にいながら、冷めきった眼で彼自身をみつめていた。
 何度も死を想った。彼が死ぬことで両親は解放されるのではないかと思った。彼が生きていることは、寧ろ両親にとって重荷なのではないかと思った。
 ――しかし、彼は死ななかった。
 両親は幸か不幸か、不吉な病になど侵されていなかった。健康と言って差し支えなかった。彼はただ、じっと両親の死を待っていた。いつ来るとも知れぬ、来るべき日を待っていた。薬浸けの体だけを恃みにして――

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